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『戦火の下のイラクの子どもたち〜イラク人医師モハンマド・シャキールさんのお話ほか〜』
[西谷文和さんのレバノン最新レポート]
  [劣化ウラン兵器禁止世界大会 in ヒロシマの報告]
[シャキール医師によるイラク医療事情のお話]
追記:イラク人医師のおかれた立場とは?シャキールさん、阪大博士課程に合格
日時 : 10月28日(土) 18:30〜20:30
場所 : 大阪保険医協会 M&Dホール
(地下鉄なんば駅下車、地下「なんばウォーク街」26-A(または30-B)を上がる。徒歩5分。湊町リバープレイス1つ西の筋、保険医協会ビル向かい〉

プログラム :
(1)西谷文和さんのレバノン最新レポート
ジャーナリストの西谷文和さんが9〜10月にかけて紛争後のレバノンを取材。ABC放送の『ムーブ』(10/13「特集・レバノンにばらまかれた死の兵器」)関西テレビの『アンカー』でも報告されたことを再度語っていただきます(「DVD・戦火の下のイラクの子どもたち」の放映から変更になりました)。
(2)劣化ウラン兵器禁止世界大会 in ヒロシマの報告
NGO、NPO主導で条約によってウラン兵器を廃絶にもちこむ。8月、3回目となる『ICBUW世界大会』がはじめて日本で開催されました。参加した『おおさか市民基金』のスタッフがそのときのもようを報告します。
(3)シャキール医師によるイラク医療事情のお話
イラク人医師で阪大に留学中のモハンマド・シャキールさんに、イラク戦争後のイラクの医療事情や、自らが関わる国内難民救済医療NGO『マーシーハンズ』について語っていただきます。
<シャキールさん略歴>
1976年 バグダードに生まれる。イスラム教スンニ派に属する。
 2000年 バグダードのサダム大学(現ナハレン大学)医学部を卒業。専門は病理学。そのまま付属病院の医師となる(ちなみにこの病院は国立で建設にあたり日本政府が援助)。
2002年 12月〜 イラク政府より奨学金を受けヨルダンの大学院に留学。
2003年 3月〜 政権崩壊にともない奨学金打ち止め。イラク攻撃の最中帰国。赤新月社やイラクの医療NGO『マーシーハンズ』でボランティア医師として救急治療に従事。
8月〜 医師であるバグダード大学学長が何者かに殺害。大学関係者や医師を狙った脅迫や殺害が相次ぎ、自らも「イラクで医師を続ければ殺す」という脅迫を受け、ヨルダンへ避難。アンマンで医師として働きながら、避難してくるイラク人の治療にあたる。
2005年 11月〜 ヨルダンの首都アンマンのホテルで同時爆破事件がおこる。これをうけて、ヨルダンにおけるイラク人滞在許可がはるかに難しいものとなる。シャキールさんも例外ではなく、滞在できないような事態になった場合、必然的にイラクに戻らざるをえなくなる。すでに200名以上の医師が暗殺されており、彼自身も脅迫を受けているという過酷な状況を考えると、イラクに戻るというのは死を選択するに等しい。
2006年 1月〜 初来日。イラクの医療事情を近畿中心に講演。シャキールさん帰国後、日本の有志が支援の可能性を探る。
7月〜 阪大医学部でがんの研修のため日本に再来日。9月に阪大大学院を受験。
シャキールさんについての詳しい情報は、『イラク人医師シャキールさんを支援するグループ』のこちらのページをご覧ください。
主催 : イラク子のどもを支援するおおさか市民基金  大阪市北区天神橋1-13-15 グリーン会館3F  TEL 06-6192-7033
共催 : イラク救援・医療人ネットOSAKA  大阪市浪速区幸町1-2-33 大阪府保険医協会内  TEL 06-6568-7721

西谷文和さんのレバノン最新レポート
カナでは虐殺された人々のために集団墓地を作っていて、そこに犠牲になった方々の写真が飾ってある。家の地下に隠れていたところを爆撃され、家もろとも吹き飛ばされているので、家族全員即死、というパターンで亡くなっている。集団墓地にはもう誰もお参りしておらず、すぐ隣の民家(ここも爆風なのか、ロケット弾なのか、半壊である)の老人にインタビュー。「弟の家族5人がやられた。全員即死だ。あの家の地下に隠れていたところを、イスラエルのロケット砲が飛び込んできたんだ」。・・・「虐殺の街カナ」(2006年10月1日)より
詳細⇒『イラクの子どもを救う会Weblog』(9月27日〜10月13日)

劣化ウラン兵器禁止世界大会 in ヒロシマの報告
「NO DU劣化ウラン兵器禁止を訴える第3回世界大会」(8月3日〜6日・広島)に参加して
1 ICBUWとは
『ウラン兵器禁止を求める国際連合』(ICBUW=International Coalition to Ban Uranium Weapons)。2003年10月、ベルギーで結成。本部事務局はアムステルダム。2006年5月現在、参加団体は、アメリカ・イギリス・日本・ドイツ・オランダ・ベルギー・イタリアの7カ国15団体、賛同団体は20カ国80団体にのぼっている。
2 第3回世界大会を広島で行うことの意味
世界12カ国からの40人以上と、日本全国からの参加者をあわせ、約400人が参加。
今回の大会は、「ヒロシマから世界へ―届けよう“劣化ウランヒバクシャ”の声を!」との呼びかけに応え、全世界から劣化ウラン被害者、活動家、科学者、法律家、ジャーナリストなどが広島の大会に参加。最新の科学的研究から世界的な劣化ウラン問題に関する議論に至るまで、劣化ウラン問題全体を網羅するような50を越える報告がなされた。
大会の冒頭には、平和市長会議の議長でもある秋葉忠利・広島市長が歓迎の挨拶。
3 世界で広がっている「劣化ウラン被害者」
イラク
ヴァルタニアンさん(環境放射能測定技師)は、住民が戦争による劣化ウラン汚染に曝され続けている実情を報告。彼が報告した汚染箇所の地図は、それらの汚染地点が市内のあちこちにあり、市街地のごく近くに位置していることを示している。アル・アリ医師(アルセイダー教育病院内科医長・癌センター所長)は、バスラでは過去8年間に固形癌の罹患率が約1.4倍に増加し、人口10万人あたり44.7件から61.5件に増加しているとの最新の疫学調査の結果を報告。彼は、1991年以来この地域にもたらされた、ウラン兵器をはじめとする戦争による深刻な環境破壊がその要因であると考えられると述べた。アル・アリ医師は、基本的な機器や医薬品の不足する中で治療にあたっているイラクの医師たちの困難な状況を語り、医療支援と、独立した汚染・疫学調査への国際的協力を訴えた。
アメリカ
ハーバート・リード氏、デニス・カイン氏の報告(2人とも帰還兵)。
湾岸戦争とイラク戦争の帰還兵の中に、健康調査・治療と補償を求める運動が広がっている。いくつかの州では帰還した州兵の劣化ウラン汚染検査、健康登録を行う法律が制定された。
独自の検査で汚染が確認された(尿の劣化ウランが陽性に出た)ハーバート・リード氏は、他の8人の帰還兵とともに、国に対して(危険性を知らせずに従軍させた事に対する責任を問う)裁判に向けた準備を進めている。
イギリス
『湾岸・アフガン・イラク戦争退役軍人慈善団体』理事のレイ・ブリストウ氏は、イラクでの軍務の後、いかに健康を害されたかについて語った。
イタリア
現役の軍人フィリッポ・モンタペルト氏は『オッセルバトーレ・ミリターレ』(軍事・治安及びイタリア国家警察関係者人権擁護団体)を代表して参加。バルカンからのイタリア帰還兵に癌が急増していると述べ、「バルカン症候群」に苦しむ兵士たちの(補償要求への)法的支援について報告。これまでに(国防省に対して年金補償を求めた)二つの訴訟で兵士側が勝訴。イタリア国防省は、劣化ウランの影響を認めようとはせず、ストレスや食事が悪かったために兵士が病気になったのだとしている。
医療支援も含めたイラクの人々への援助を行っている日本のNGO、『日本イラク医療支援ネットワーク』(JIM-Net)『イラク・ホープ・ネット』などからの報告を受け、被害調査と直接的な医療支援の両面で、世界各国の劣化ウラン被害者を支援してゆく必要性について広範な討論がされた。
4 世界各国と地域でのキャンペーン報告
ドイツ
ICBUWメンバーが劣化ウラン反対国内連合を創設することを決定。「ドイツ・クラスター爆弾キャンペーン」など、他の紛争後(支援)や軍縮NGOとの連携も重要だと報告。
韓国
フォトジャーナリストで平和活動家のイ・シウ氏。
アジアに貯蔵されている米軍基地内の劣化ウラン兵器の危険性を強く訴え。
「沖縄の嘉手納基地に40万発の劣化ウラン弾が2001年に保管されていた」とのニュースが大会の直前に日本の全国紙(毎日新聞)のトップ記事に掲載されたが、この砲弾の数は、1991年の湾岸戦争時に米軍が使用した砲弾の半分にも相当するもの。これはハワイ在住のイ・シウ氏の友人が、アメリカの情報公開法に依って公開させた機密文書に基づくもの。彼は「韓国と沖縄の米軍基地に大量のウラン兵器が貯蔵されている。その数量の実数と記録上の数にかなりの差があり、どこかに紛失してしまっている。劣化ウラン兵器の貯蔵と管理に深刻な問題があることを示している。」
5 ウラン兵器をめぐる科学的討論も
様々な専門分野の科学者が、劣化ウランの放射能毒性と化学毒性についての具体的なデータに基づいて、特に自然界には存在しないような劣化ウランのエアロゾールによる内部被曝が、人々の健康と環境に有害な影響を及ぼすと述べた。
しかし、被曝した人々にみられる疾病との因果関係などについては、未だに議論もあり、今後の調査研究を待たねばならない。しかし、「予防原則」に基づいて各国政府に圧力をかけることができるほどの十分な知見は得られているという点については一致。特に劣化ウランの化学毒性については議論の余地はなく、「劣化ウランが安全だ」というのであればその「実証義務」は兵器を使用した政府や軍の側にあり、被害を受けた市民や兵士、NGOや科学者に「因果関係の実証義務」を押し付けるべきではないことでも一致。
*「予防原則」=「たとえ因果関係が完全に明確に証明されていなくても、科学的に環境への深刻な、取り返しのつかない危険性があると考えられる場合には、具体的な方策に即刻、取組まねばならない」。
6 国際キャンペーンを支持し拡げることを確認
大会では、ウラン兵器の使用は、現行の国際人道法、人権法や環境法に反するものであり、「ウラン兵器禁止条約」の締結をめざして国際キャンペーンを強めることが重要であることを改めて確認した。
この条約は、単なる禁止ではなく、(兵器の使用のみならず)その製造・運搬・貯蔵・試射・売買などの全てにわたる禁止をめざすものであり、また被害者への支援・補償を行わせるためのものでもある。
会議は同時通訳による英語でなされました。より詳しい内容については、『NO DU劣化ウラン兵器禁止を訴える第3回世界大会』日本語版公式サイトをご覧ください。動画もございます。

シャキール医師によるイラク医療事情のお話
約50名のお客様にいらして頂きました。ホワイトボードの手前左がシャキールさん、右は西谷さん。

<パワーポイント資料>
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<講演録>
戦火の下のイラクの人々 〜医療事情〜
こんばんは、モハンマド・ヌーリ・シャキールです。発言の機会を与えていただいて感謝します。劣化ウラン弾の被害資料をまとめていただいた方にもお礼申します。たいへん正確です。
今日はとりわけ2003年以後、アメリカ占領以後のようすを聞いてください。
映像図を交えてお話しします。イラクの地政学的な位置を見てください。東にイラン、北にトルコ、西にシリア、南にサウジアラビア。

1991年の湾岸戦争後、欧米はサダム・フセイン政権に経済制裁を科しました。その結果、イラク人にとって様々な生活の困難が起きて、子どもも多く死亡しました。大量破壊兵器を作らせないという口実のもとに、制裁は12年も続きました。
2003年の戦闘後、アメリカの占領が続いてます。イラク中央政府がほとんど機能しておらず、治安は悪くなり人々の生活は益々危険になっています。(ファルージャなど)アメリカ軍の爆撃で多くの一般市民が殺されましたが、大都市ではない田舎の人たちは避難することができず、病院にも行けなくなっています。
私が見たこととして証言しますが、2003年4月以降、国立病院から医薬品の在庫がなくなってしまいました。包帯や酸素吸入器、手術用の糸と針などが全然ありません。

まず、イラク人が直面しているアメリカ軍による直接の暴力をご覧ください。
――例えば、この写真[4]でもわかるように、殺されているのは本当に一般庶民なのです。
――右下の写真[4]では、海兵隊の兵がテロリスト容疑だと5、6歳の子どもを取り調べています。異常な光景です。
――この写真[5]のけが人は救急車の運転手です。救急車も占領軍に攻撃されますし、医療スタッフが大勢アメリカ軍に捕まって投獄されています。例えば、アリ・シハーブという医師は有名になったアブグレイブ刑務所に入れられました。
――これは[6]アンバール州の病院ですが、アメリカ軍の急襲で接収されて、このように医療器具が破壊されています。

さて、ここのところ、最悪の局面を迎えているのは、いわゆる知識人・学者や技術者などの暗殺です。イラクの学者団体に拠れば、アメリカ軍占領以来、約300人の学者が暗殺され、数百人の学者が殺害の脅迫を受けたためイラクから去っています。
特にイラク国内でせっせと治療に励んでいた医師たちが狙われています。占領初期の03年7月27日、私の上司でありバグダッド大学学長のモハメッド・アルラウィ氏が、自分の診療所で暗殺されました。イラク保健省【厚生省に当たる】や医療機関の職員が、現在も殺人・脅迫の標的となっています。
私自身も03年7月にイラクでの医療活動を諦め、アンマンへ逃げました。多くの医師が脅迫のもと、逃げざるを得ない状態になっているのです。知識人への組織的暗殺はイラクの将来を奪うものといえます。

さらに大きな問題は、警察の調査や裁判がないため、個々の暗殺の動機が明らかにならないことです。政府が弱く治安維持が機能しないので、暗殺事件は連続して起こります。
どうも、イラクの知識人を根絶やしにすることを目的にした組織だった動きがあるようです。国内のいくつかの宗教政党や外国、イランとかシリアとかアメリカ、イスラエル等から援助を受ける暗殺団が暗躍しているように思います。

次に、民兵の話に移りたいと思います。というのは、知識人殺しには民兵が深く関与していると思うからです。
「民兵」にはいろいろ種類がありますが、宗教的背景を持つものと、イラク人分断を目的に先ほど言ったようなスポンサーから金や武器の援助を受けているものがあります。後者は、サダム時代にはなかったもので、活動がとみに活発になっています。
最も有名な民兵組織はモクタダ・サドルのマフディ軍ですね。サドルはシーア派の急進派であり、標的はスンニ派です。もう一つの例はバドル団というイスラム革命党に組織されているもの。狙われるのはやはりスンニ派を中心とした人たちです。
占領以後は政府に力がないため、こうした民兵組織を抑えることができません。多くの都市で大した理由もなく人々を殺し回っています。主にスンニ派を。特に06年2月サマラでシーア派のモスクが爆破されて以来、復讐だと言って毎日100人ほどもスンニ派が殺されています。
――左上の写真[14]は、暗殺団で最も有名なアブドゥラという人物です。
――右上[14]のはマフディ軍の民兵。
――下の二つ[14]はバドル団に捕まったイラク人たちで、このあと殺されています。

スンニ派は今や外を歩くことすら危険です。例えば、オマール・オットマン・バケール等スンニ派独特の名前は、名前だけで民兵に拘引されて殺されることもあります。多くのスンニ派はニセのIDカードを作って名前を隠します。
国立病院は、シーア派民兵が患者のスンニ派を逮捕すると有名な場所になってしまいました。なにしろ、保健省大臣と職員の多くがサドル一派(シーア派)のメンバーですから。病院からスンニの人が誘拐され、拷問のうえ殺されます。スンニ派は怖がって大きな病院へ行きません。
――右上の写真[15]はスンニ派の患者で、病院からマフディ軍に誘拐され、死体で帰ってきました。拷問の跡があります。
――左上[15]のは殺された遺体で、下の泣いているのは故人の母親と息子です。
こんな悲劇が珍しくないのです。

国立病院のほとんどが今は人員不足、医者が逃げていますからまともな治療ができない状態です。必要な医療物資がないため医療水準は最低になっています。しかし、私立病院は高価なので、一般庶民はますます医療サービスを受けにくくなるわけです。
医療難民が大量に発生しており、隣のヨルダンに救いを求める人もいますが、国境で止められて送り返されたりします。たとえ行けても費用が高く、お金が尽きて帰ってくることになります。

以上、医療分野から見たイラクの現状を、民兵や暗殺の話と織り交ぜて聞いていただきました。
イラク発の救援NGO 〜マーシー・ハンズ〜
次に、私が所属するNGO『マーシー・ハンズ』の役割についてお話したいと思います。
2003年4月に、多くの人道支援活動家がイラク人を助ける意志を持って、イラクに駆けつけてくれました。マスコミも含め、様々な分野で活動する世界の信頼すべき団体から、たくさんのひとたちが。彼らは国連や人権団体、NGOとして、互いに協力して活動にあたりました。残念ながら入国管理がない状態でしたので、誰がどのくらいいたのか記録にありませんが、例えば、『国境なき医師団』『プレミアアージェンス(PU)』『荒野の声』『コードピンク』といった名前があげられます。その他、日本・韓国・フランス・ドイツ・イタリアなど多くの国からです。
しかし、バグダッドの国連本部に自爆テロがあった03年8月以来、イラクで救援活動をしていたNGOは国外退去を余儀なくされました。いまは主にヨルダンで活動を続けていますが、外国のNGOによる直接支援は大変やりにくくなったのです。

そこで、私たちは自国の運命を自分たちでなんとかしたいと考え、イラク人自身の救援組織を立ち上げることにしました。それがこれから申し上げます『マーシー・ハンズ』[20]です。私を含め7人のイラク人で始めました。2004年10月に設立し、今日まで活動を続けています。
マーシー・ハンズの特徴は、非宗教・非政党・非民族差別にあります。宗派や党派や人種や部族を超えて集まったこと。困難な状態の地域に行き、分け隔てなく必要な物資や知識を届けています。目的は、避難民・ホームレス・貧困層などの生活レベルの引き上げを図ることです。イラク中に活動の領域を広げたいと思っています。

いくつかの専門部があります。
@巡回部門:避難民・帰還民を訪問し情報を集めて、最も適切な援助は何かを考えます。
A緊急支援部門:食料部と非食料部があり、04年11月から物資を配布しています。特に田舎の方で非常事態のプログラムを実施、何千人もの国内難民、すなわち家を奪われ国内をさまよっている人たちに物資を届けました。
――この写真[21]や、[24]は毛布を配っているところです。
B生活再建部門:緊急時が過ぎたあとです。生活を続けるための困難を克服するための支援です。
――上の写真[25]は浄水システムです。バグダッド近郊の村ですが、水の確保が大事だと思い、浄水設備を作りました。
――下の写真[25]はサッカー場を整備しているところです。現実よりも希望のために。
CLAIC部門:国内避難民や帰還民に対して法的な支えとなるべく、政府とのつなぎを付けたり、合法的なアドバイスをします。
こうした生活困窮者の数ははっきりしません。サダム時代にIDカードを発行されずいた人々が家をなくして逃げていたりするので。
DPACT部門:エスカレートする暴力に対峙して、平和を求める声を組織化する仕事です。
他のNGOや支援団体と協定を結んで、広げようとしています。宗派や党派や民族を超え、一つのイラクのもと、非暴力で平和を築くための運動です。この活動には、いろんなところから入っていただきたいです。イラクの暴力を止めるために力を発揮するでしょうから。

以上、NGOマーシー・ハンズの簡単な紹介でした。
質 疑 応 答
Q:資料の写真は、どこから手に入れたものですか。
A:イラク同盟(医者や技術者が作っている組織)の仲間が、インターネットその他で情報を集めて私に送ってくれたものです。

Q:シャキールさんの学歴と医療経験は?
A:卒業したのはサダム大学(占領後はナハレン大学に改名)医学部で、そこの医大病院で働きだしたのが2000年。03年までそこにいました。サダム病院は日本政府の援助で建設されたのですよ。専攻は病理学、とくに血液のガンが専門です。

Q:イラクに私立病院はあるのですか。どんな設立母体で?
A:国立病院のほうが数も多くスタッフが充実していますが、私立もあることはある。しかし高いです。ほとんどが特に宗教的背景はなく、個人名を冠した医院と同じです。

Q:私立病院のほうが安全というのはなぜでしょう。
A:まず、国立病院のほうがベッド数も患者数も多いので、テロの標的にされやすいです。それから、自爆テロがあったりすると怪我人は国立病院へ行くのが一般的なのですが、その国立病院というのが(さきほどご説明しましたように)マフディ軍の巣で、米軍は搬送先の病院で「テロリスト」を捕まえたりします。これに比べると私立はあまり民兵の入る余地がありません。もっとも、米軍襲撃時には私立も国立も関係なくやられますが。

Q:シャキールさんは今イラクに帰れるのでしょうか。ご家族はどうされていますか?また、私たちが支援するのに一番よい方法はなんでしょう?
A:イラクでは私自身も安全ではなく、マリキ首相であっても危険です。父は「帰ってくるな」と言います。04年に一度帰りましたが、すでに多くの医師が殺されてましたし、家族も危険と隣り合わせでしょう。
まもなくマーシー・ハンズ日本支部を作ります。ホームページでイラクレポートや活動報告をするつもりです。ぜひこの活動に、コミットしていただければと思います。

Q:PACTで失敗したケース、うまくいかない場合の対処は?
A:イラクはモザイク国家ですから、宗派・民族・部族の違いを言えばいくらでも障害はあります。サダム・フセインという重石が取れたため、「違い」を無視すれば暴力がエスカレートします。しかし、マーシー・ハンズの関係者には、シーアもスンニもクルドもクリスチャンもユダヤまでいますから、それらの代表を呼んで、「私たちはイラク人。特定の宗派や部族に頼らずに国を立て直したいのだ」とPACTを通じて訴えていきたいのです。

Q:シーア派とスンニ派って見てわかるのですか。襲うときに何で区別しているのでしょう?
A:イラク人にとって「あなたはシーアかスンニか」と訊くのはとても失礼なこと。私は見た目で区別はつきません。占領前は所属宗派など問題になりませんでした。占領下になってから、政党がシーアかスンニかと区別するようになり、差別し分断するように仕向けたのです。例えば、アメリカ占領当局は選挙用に政党を160ほどつくらせました。これはイラク分断政策ですが、最初の選挙はスンニ派がボイコットしましたから、多くがシーア派の政党なんですよ。それらはハキーム、モクタダ・サドルなどに指導されているわけです。ちなみに、イランのシーア派最高指導者に従って動く軍団は、スンニのレジスタンスにはすぐわかるのだそうです。
【注:彼が「民兵」と言うのはだいたいシーア派のこと。スンニ派のは「レジスタンス」と言い、占領軍と闘っているグループとして区別する】

Q:「アメリカが撤退したら内戦がひどくなる」という説をどう思いますか。
A:アメリカの占領が終われば安定に向かいます。なぜかというと、宗派対立ってなにもすべてのシーアとスンニがやりあっているわけではなく、ごく一部の民兵が主にシーア派を殺しているだけです。暗殺が終わらないわけは、民兵集団が占領軍に保護されていて今の政府には逮捕拘束できないからです。アメリカ占領軍が帰れば、イラク人がその人殺し部隊を処罰します。だから暗殺はなくなるはずです。誰が近所どうしで殺し合いたいものですか。占領軍が人殺しを黙認してあおっているんです。

Q:この悲惨な状況の中で、何に希望を見いだすのですか。将来の展望は?
A:私は楽観主義者なので、未来は明るく考えることにしています。多くの人が悲観的になりますが、こういう状態をつくったのはアメリカなのです。アメリカが出て行って政府が替わればイラク市民がちゃんとやります。イラク人は創造的で平和が好きな人が多いのですから、石油をはじめ産業を立て直して、治安も回復させていきますよ。そこに希望も展望も見いだすのです。

Q:学者の暗殺は、誰が何の目的でそうするのでしょうか。
A:興味深い話です。私の知るところでは…学者を狙っているのは、例えばアルマド・チャラビが組織しているグループとか。チャラビはサダム時代にアメリカに亡命してCIAのエージェントになり、「大量破壊兵器がある」と嘘をついたやつです。後ろにはイスラエルとかがいて、金で暗殺をやっています。なぜか?チャラビはサダムに弾圧されて外国へ逃げました。当時サダムは予算をつぎ込んで教育水準を上げていた。それで学者になった人たちは、たいてい占領政策に反対する。チャラビはサダムのつくった立派な成果は何でも憎い。だから一つは復讐のため、一つは金になるために殺して回っているのではないかと思います。しかし正確なところはわからない。おかしなことです。ただ間違いなく言えることは、人々を無知にしておけばイランやイスラエルの思うツボですね。イラクが強大になればイランもイスラエルも困るわけです。その意味ではチャラビは彼らの代理人であって、イラク復興のための知識人をつぶしています。あぁ、狙われているのはむろんリベラルな考えの人たちです。ヨルダンやサウジに逃げた人はとりあえず命の危機はなくなりますが、国に残っている人はとても危険です。マーシー・ハンズを一緒に始めた仲間の一人は、何度も脅迫を受けて、バグダッド市内で本部を転々と移動させています。まだ殺されていない医師や学者も危ないに違いありません。
*パワーポイントは、シャキールさんが英語で制作されたものを、当日にあわせて『おおさか市民基金』が翻訳したものです。データを軽くするために画質を落としています。
*パワーポイントの中で使われている写真は、イラクリーグ(同盟)が収集したもので、シャキールさんが転載しています。
*講演は、シャキールさんが英語で、それを西谷さんが同時通訳しました。ここに記したものは読みやすいようにウェブ用に若干編集していますが、発言内容はかえていません。
イラクの子どもを支援するおおさか市民基金
〒530-0041 大阪市北区天神橋1-13-15 大阪グリーン会館3F
TEL: (06) 6192-7033 FAX: (06) 6942-7865 mail
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